わたしの趣味は地蔵です

仏像には興味ありません

ディズニーの子孫に会ってきた

淡々と文字起こしをします。

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D23 Expo Japan
「ロイ・パトリック・ディズニー特別講演」
日時:2013年10月12日(土)14:00-16:00
場所:舞浜アンフィシアター VIPラウンジ

概要
「舞浜アンフィシアター内のVIPラウンジにて、ロイ・パトリック・ディズニー氏をお招きし、特別講演を開催します。ディズニー家の思い出や、ウォルト・ディズニーやウォルトの兄、ロイ・O・ディズニーなどの人柄や、思い出のエピソードなどを、みなさまに直接お話しするとともに、事前にみなさまから頂いた質問にお答えする時間もご用意する予定です。この貴重な機会をお見逃しなく!」

ロイ・パトリック・ディズニー氏について
「実業家。ウォルト・ディズニー・カンパニーをウォルトと共同で創業したロイ・O・ディズニーの孫。ディズニー社の経営に活発にかかわったロイ・E・ディズニーの長男。ディズニーの歴史を創業家の一員として見つめ続け、ディズニーブランドを愛し、ウォルト・ディズニー・カンパニーの取り組みを温かく見守っている。」
「ビジネスマン・趣味はヨット・超ヨット好き・ヨットの大会でまくり・ヨットヨットヨット」

参考 ネットに公開されている同氏のインタビュー
Roy Patrick Disney

http://www.imagiverse.org/interviews/roydisney/roy_disney_06_07_10.htm

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会場は静止画の撮影可・動画は不可

司会 田頭 克彦氏(ウォルト・ディズニー・ジャパン
東京ディズニーリゾート・ディズニアナ・ファン・フェスティバルにもいらした方)
翻訳者は2人 1人は日本語→英語 1人は英語→日本語
会場には、ロイパトリックディズニー(ロイP)の妻シェリー・息子ウィリアム・友人ヨークの3人。

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登場人物メモ
ウォルト(ロイPが8歳の時に死去)
リリー(ウォルトの妻,アニメーター)
ルース(ウォルトの妹,ウォルトは4人兄弟)
ロイo(ウォルトの兄,ウォルトは4人兄弟)
エドナ(ロイoの配偶者)
ロイe(ロイoの子,ひとりっこ,ロイpの父)
パティ(ロイeの妻,ロイpの母)
スーザン(ロイeの4人の子供の1人,ロイpの妹)

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ロイP:家族きたのは2度目、1度目は東京ディズニーシーのオープンの時。また来たいと思っていた。息子は初めての来日。

田頭:好きな日本のものは?
ロイP:鮨が好き。スカイツリーにもいった。プーが好き。(ウル覚えだがアトラクのこと)

田頭:東京ディズニーリゾートについて
ロイP:前日までに東京ディズニーリゾートを満喫してきた。東京ディズニーリゾートは全てのパークの中で吐出する素晴らしさ。特にシーが素晴らしい。

--以下、用意された写真を見ながらのディスカッション--

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[幼いウォルトとルース]の写真
[12歳頃のウォルト]の写真
[ウォルトが書いたクリスマスカード]の写真
ロイP:ウォルトは昔から絵がうまかった。
(お察しいただけるだろうか…撮影機材をもたない私は写メを一旦諦めた。) 

[16歳のウォルト・軍服の25歳のロイo]の写真
ロイP:第一次世界大戦頃の写真だね。

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[救急車とウォルト]の写真
ウォルトは兄のようになりたくて第一次世界大戦に救急車にのっていた。
田頭:救急車にはウォルトのイラストが描かれていますね。

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[1923年 ウォルト22歳・ロイo30歳]の写真
ロイP:会社を作った時のものです。

[ウォルトと結婚後の家族]の写真
ロイP:リリーはアニメーター。会社は最初は大変だった。
田頭:ウォルトはどのように挫折を乗り越えた?
ロイP:ウォルトは常に夢を持ちづつけた。オズワルトで成功を収めるも、キャラクターを盗られてしまった。ウォルトとロイoはNYまで行き、オズワルトを取り戻そうとしたが失敗に終わった。その帰路で思いついたのが1匹のネズミのキャラクター。その時ウォルトはそのネズミにモーティマーと名づけたが、リリーにミッキーマウスがいいといわれ、ミッキーマウスという名前がついた。

ロイP「昔も今も、女性のほうが正しいということだね」(ハッハー)
(ロイPの眼の前に座っている妻シェリーが盛大な拍手)
(会場爆笑)

[38歳ロイoと赤子ロイe]の写真
ロイp:ロイoは息子を愛す幸せな父親だったよ。

[赤子ロイeとミッキーのぬいぐるみ]の写真
ロイp:キャラクターのぬいぐるみを作り始めた頃の写真。ただ、ロイeはぬいぐるみが好きではなかった。

田頭:そういわれると出しづらいのですが…
[ロイeが大量のぬいぐるみに囲まれている]写真
ロイp:父はぬいぐるみが嫌いで、全部壊してしまったらしい。

田頭:ロイpもディズニーに囲まれてすごした?
ロイp:そうでもない。父はぬいぐるみが嫌いだったので、そうしなかったのだと思う。

[1935年水着を着たロイe]の写真
田頭:ミッキーの水着を着ていますね
ロイp:父は一人っ子で、この頃40歳だったエドナにとって、とてもかわいい子だったようで、着せ替え人形のようになっていた。
田頭:船が好きだったか(ロイe or ロイo 主語忘れました たぶんo)
ロイp:そうでもない。クルーズにはいった。1934年。ヨーロッパやハワイに。

[アカデミー賞(ウォルトとシャーリーテンプル)]の写真
ロイp:このアカデミー賞は最優秀賞ではない。今までにない作品であった白雪姫に特別賞が与えられた。

田頭:ウォルトとの思い出を教えて下さい。
ロイp:ウォルトが亡くなった時私は8歳だった。ウォルトと過ごした時間で、一番記憶に残っていることは、トゥモローランドのショー。ジェットスーツをきた宇宙飛行士を見ていたら、ウォルトがきた。一緒に手をつないで人混みから離れたベンチで一緒にそれを見た。私は、タイタニックに乗ったような、世界の王になったような、とても誇らしい気持ちになった。

[ウォルト,リリー,ロイo,エドナの旅行]の写真
ロイp:1934年ウォルトは過労で医者に仕事を止められた。その時ウォルト夫婦とロイo夫婦でハワイ旅行にいった時のもの。

ロイp「この時はまだハワイにアウラニはなかったよ」(ハッハー)
(会場爆笑)

[ロイo]の写真
ロイp:ロイoはNBCで仕事をした。使いっ走りをしていた。ビンクロズビーやボブフォープにもぎりの指導をされた。

[1955年ディズニーランドのオープニング]の写真
ロイp:ディズニーランドがオープンした時、父(ロイe)と母が婚約をした。私が生まれたのが1957年だから、私はディズニーランドと同じくらいの年齢ということになるね。

[婚約のお祝いに来たリリー]の写真
ロイp:リリーがお祝いにきたときの写真だね。
田頭:ロイeはロマンティックな人だったんですね
ロイp:いえ、周り沢山人がいたからだと思うよ。

[婚約のお祝いに来たリリー2]の写真
ロイp:ゴールデンホースシューのサロンですね。父は幸せそうだよね。

[ロイeの結婚式]の写真
ロイp:9/17。まだ若すぎる気もするけどね。

田頭:両親をキャラクターに例えると?
ロイp:そうだね。母はシンデレラのような人だよ。だとしたら、父はプリンス・チャーミングかな?(ハッハー)

[仕事をするロイe]の写真
ロイp:父の仕事は映画の編集だった。上司のノーマンストーミーパーマーは後の親友。ヨットの乗り方をおしえてくれた。

[ロイoとロイpとスーザン]の写真
ロイp:ディズニーランドに行くときはいつもこのような格好をさせられた。(アナハイムブエナビスタで出てくるミッキーのような服装)嫌だった。
田頭:ロイoはどんな祖父だった?
ロイp:孫と過ごすのを楽しみにしてくれていた。1番しあわせな頃だったと思う。ディズニーランドには年に6-8回はいったよ。祖父母より両親と行くことのほうがおおかった。

田頭:写真のスーザンはやんちゃそうな感じですね。
ロイp:妹の方が声が大きくて意見がしっかりしているよ。

田頭:自分がディズニーファミリーだと知ったのはいつ?
ロイp:7-8歳の頃に理解したよ。他の人が見られないバックステージなどをみることができたから。でも、なにかが特別ということはなかった。今でもパークはたのしかったと思う。

田頭:ディズニーファミリーで損をしたことはある?
ロイp:ないよ。でも、私がいなくなっても誰も気づかないと思うよ。
(以前のインタビューではあると答えていたので気になる方はこの記事上記のURLへ)

田頭:ディズニーは世界で一番大きい苗字ですね。
ロイp:んーそうだね。コカ・コーラとかは?(ハッハー)

[1964年頃家族]の写真

ロイp:両親と4人の兄弟の写真だね。フックの前でとった。
田頭:パティはどんな子育てをしたんですか。
ロイp:4人いると大変だよ。4年で4人産んだからね。群れを扱うようにグループで動いた。
田頭:パティは元広告会社に努めていただけあって、おしゃれな服装ですね。

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[マーセリンの学校に訪れる大人のウォルトとロイo]の写真
ロイp:ミズーリ州の学校の写真だね。ウォルトは授業に飽きて机にW.Dとイニシャルをほっていた。再び訪れた時にそれをみている。

[1965年ウォルト・ディズニー・スタジオ]の写真
田頭:ウォルトはどんな正確でしたか?
ロイp:覚えているのは、あたたかい人だったということ。そして、とてもクリエイティブだった。見てる人・観客の視点を持った(考える)人で、みんなのハピネスが自分のハピネスのような人だったよ。
ロイp:1966年にウォルトはなくなり、ロイoは仕事を辞めた。でもウォルトを愛していたから、復帰して、6年でウォルト・ディズニー・ワールドをつくった。ウォルトの夢を引き継いたんだ。ウォルトとロイoのお互いの愛は特別なものだった。

[1967年のフロリダでとった家族]写真
ロイp:建設中のパークでとったものだよ。

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[オープニングセレモニー]の写真
田頭:ロイoにとってディズニーランドにはどんな意味が?
ロイp:地球上で1番な幸せな場所。今も愛されていてびっくりしていると思う。ウォルトディズニーワールドのオープンは、祖父にとって1番誇りに思ったことだと思う。私はそのスピーチを電車の駅から見た。祖父は有名になりたい人ではなかったが、ウォルトのためにおこなった。祖父はその2ヶ月後になくなったんだ。

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[パレード]の写真
田頭:オープニングセレモニーの後のパレードとのことですが、1001人のマーチングがおこなわれたそうですね。すごい人数ですね。
ロイp:エントランスからキャッスルまでパレードが続いて、建物が揺れたよ。「101のマーチングバンド」という曲があるんだけど、それよりも大きい1001人でおこなわれたんだ。

[1986年]の写真
ロイp:ジェフリー・カッツェンバーグとロイoとピーター・シュナイダーの写真だね。第二の黄金期で、大きな役割をになっていた。

田頭:好きなディズニー映画は?
ロイp:ダンボが好きで、見ると泣いちゃうんだ。子供の苦しみに感情移入してしまうんだろうね。

田頭:ハッピーにするのに1番重要なことは?
ロイp:正直でいること。心を離さないこと。

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[オフィスに居るロイe]の写真
ロイp:ディズニーアニメーションのオフィスに居る父の写真だね。f:id:h_misak:20131019132534j:plain

[ロイpが写った]写真
田頭:ウォルトがつくった1949年のファンタジアとお父様がつくったファンタジア2000の思い出を教えて下さい。
ロイp:ウォルトは新しいアニメーションを2-3年に1度作っていた。生き続ける芸術にしたくて。当時のファンタジアは最先端過ぎて…忘れられてしまった。戻そう!先に進もう!ロイeのアイデアでファンタジア2000が生まれたんだ。アニメーションビルに父の名前をつけてくれたボブアイガー(現ウォルト・ディズニー・カンパニーCEO)に感謝している。

[ウォルトの墓石]の写真
ロイp:ウォルトは凍結されてる?って聞かれるんだけど、これが戻らない証拠さ。

田頭:ウォルトの死とは?
ロイp:その日はとても悲しい日だったよ。アメリカの歴史の中で僕がいた日を感じることができるのが2日だけあるんだ。1つ目は初めて月に行った日。2つ目はウォルトが死んだ日だよ。

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[父と子がパークを歩く]写真
田頭:ディズニーとは
ロイp:この写真のとおりだよ。何世代にも引き継いていただきたい。

田頭:ロイpはディズニーでどんな仕事をしていたの
ロイp:ディズニー・チャンネルで製作や編集を行っていた。その後、映画のポストプロダクションへ。イマジニアリングではインディージョーンズのライドをつくったりしたよ。

田頭:海外のパークの違いは
ロイp:沢山あるよ。どのパークも地域によって特別なものがある。
パリは美しく、距離が近い。
香港は、広がっている感じ。
カリフォルニアは、一番古いオリジナルのパーク。
フロリダは、大きい、というか国だ。国。
でも、ベストは日本だね!(ハッハー)

田頭:父ロイeからもらったプレゼントでうれしかったものは?
ロイp:ボートに乗りに連れて行ってくれたこと。ヨットに乗ると、環境を楽しむのはもちろんだけど、チームで連携して仕事をしなければいけないんだ。その経験がなによりの贈り物だよ。

田頭:父ロイeへのプレゼントで喜ばれたものは?
ロイp:口答えしなかったことかな。忠誠心と愛とサポート。

田頭:今後のディズニーの成長について教えて下さい
ロイp:秘密は…いえないけど、いつも最善の形でみんなを楽しませていく。やったことがないことを続けていくよ。

田頭:皆さんにメッセージを
ロイp:このあともパークを楽しんで!そして私にとってディズニーが大切であるように、みんなもディズニーが大切でありますように。きてくれてありがとう!

(会場拍手)
息子ウィリアムが席から駆け寄って、ロイpとハグ

その後握手会。名刺をもらう。英語ができないことを心から後悔した。